タイトル:三宅八幡宮 京都洛北上高野 子供守護・かん虫・夜泣き・安産守護
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※1 築紫(つくし)
:現、北九州
※2 宇佐八幡宮
八幡宮の総社。
現、大分県宇佐市
※3 勧請(かんじょう
:神様を分けて移すこと
タイトル:由来・沿革
御祭神 第15代天皇 応神天皇(八幡大神)
御利益 子供の守り神として、「かん虫封じ」「子供の病気平癒」「夜なき」「学業成就」のご利益で知られています。
他にも、虫退治の神様 として「害虫駆除」 などの御利益で知られ、通称 「虫八幡さん」(むしはちまん)とも呼ばれて親しまれています。
御由緒 社伝によると、推古天皇の時代(6〜7世紀)、聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使として隋におもむこうとした折に、道中、築紫(※1)の辺りで病気になったところ、近くにあった宇佐八幡宮(※2)に祈願するとまたたくまに全快し、随に渡った後も、数々の危難を免れ、無事帰国することができた。
聖徳太子の没後、上高野の地に移り住んだ小野妹子はその時の恩に報いるため、宇佐八幡宮を勧請(※3)し、八幡神をお祭りしたと伝えられています。
後に、南朝の忠臣であった、「備後三郎三宅高徳」がこの地に移り住んで大神を崇敬したことから、いつしか「三宅八幡宮」と称するようになったといわれています。

応仁の乱の戦火によって全焼しましたが、数十年後に里人たちによって復旧され、明治時代に入ってから拝殿(明治2年)、本殿(明治20年)が再建されました。

皇室との深い関わりもあるといわれています。
明治天皇の幼い頃、重い病に罹い、三宅八幡宮に祈祷が命ざれたそうです。そしてその祈祷の効あって天皇の病が治ったといわれています。

ご挨拶
三宅八幡宮
宮司 菅原 武弘
当神社のホームページ開設にあたって、一言ご挨拶を申し上げます。
日頃は何かとご支援ご協力を賜りまして有難うございます。

さて、 当神社の歴史を振り返ってみますとき、遠く推古天皇の御代はともかく、近くは室町時代に起こった応仁の乱では、神域にあった全てのものが灰燼に帰し神社の形状すら失いかけた困難な時代に、里人の献身的な努力で今日に観る神社の基礎が創られましたことは、長い歴史の課程でも記憶に留め置かれるべきことでありましょう。

就中、幕末〜明治末期にかけては、子どもの疳の虫封じの信仰が隆盛を極め、当社が子どもの神様として広く伝播されていった記録があります。

その当時に記念奉納された多くの大絵馬を、近年絵馬堂や神楽殿から降ろすことによってより身近に鑑賞できる機会ができました。

私ども神社関係者は、この機会に、この貴重な文化財(平成13年4月に京都市有形民俗文化財の指定を受ける)をできるだけ広く大勢の方々に見て頂く手立てとして、また子どもの健やかな成長を願って神様に信心を寄せた庶民の熱き願いを感じ取って頂き、そして京・洛北の寒村に鎮座ましました当社が近代京都の歴史の中に、明けの星のように光輝いた背景を感得頂けることができればと考え、情報技術のパワーを活用し、ここに公式ホームページの開設を行うことになりました。

今後、研鑽を重ねつつより適切なものを公開できる様努力する所存でおりますので皆様方のご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。
平成19年1月1日

神様の使い−「鳩」

「三宅八幡宮」の鳥居前には狛犬ならぬ「狛鳩」が置かれ、境内にも鳩がいて参拝者はえさをあげることができます。又、拝殿の幕にも「鳩」が描かれ、石燈籠や瓦にも「鳩」の模様があり、絵馬にも「鳩」が描かれています。

神様の使い
宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をしたと伝えられ、以来、八幡宮の 「鳩」 は 「神様の使い」 として大切にされてきたという言い伝えがあります。
鳩は八幡神の使いとして武士などに信仰されましたが、三宅八幡宮と鳩との関係がこれほど深いものとなったのはいつ頃か、又その理由など、詳細は不明です。

境内では「神様の使い」といわれる「鳩」がお出迎えです。参拝者や近所の人々がえさをあげている姿が見られます。

写真をクリックしていただくと大きい写真をご覧頂くことができます。

神鳩(しんばと)
お宮参りの際に、「神鳩」という、土製のつがいの鳩を授けてもらい、子供が無事成長した折にお礼にお返しにくるというならわしがあります。
「神鳩」は素焼きに色をつけたつがいの鳩の人形です。金色の首の輪があるほうがオス、ないほうがメスです。

名物 鳩餅
鳩笛や鈴鳩、鳩餅など、鳩にちなんだグッズもたくさん売られています。中でも鳩をかたどった「鳩餅」は、三宅八幡宮でしか頂くことができない隠れた人気商品です。米の粉を蒸したもので、白、ニッキ、抹茶の三種類。茶店で頂く事ができます。むっちりとした口さわりの、素朴な味のするお菓子です。ご参拝のついでに茶店で一息どうぞ。

京都市有形民俗文化財指定
三宅八幡神社奉納育児・成人儀礼関連絵馬133枚


「三宅八幡宮」では、数年前、百年ぶりに行われた絵馬堂の整理に際し、大絵馬が大量に発見され、京都市の有形民俗文化財に指定されています。

俗に虫八幡ともいわれる「三宅八幡宮」は、子供の「かん虫封じ」の神として信仰を集めてきました。地元の伝承では、もともと「田の虫除け」の神であったが、後に「子供の虫除け信仰」に移ったとされています。

詳細はあきらかではありませんが、幕末から明治にかけて信仰が拡大し、京都市内と南近江を中心に、山城、摂津、そして北河内、大和までを含む広範囲に及んで信仰が広がったといわれています。

幕末から昭和初期までの間に奉納された大絵馬のうち133点の絵馬が「子供のかん虫封じ」を中心に「育児習俗」および「十三参り」などの成人儀礼に関連したものです。なかでも幕末から明治30年代にかけて奉納された、「かん虫封じのお礼参り」の参詣行列を描く絵馬群がよくまとまっており、描かれる人数の最多のものは638人が描き分けられています。
「行列に参加する人物」それぞれに個人名が記された付箋が貼付されている他、服装や子供たちの遊び方などの風俗が克明に描き分けられています。

本絵馬群は、時代性や地域性が窺える好資料であるとともに、育児・成人習俗というひとつのテーマに沿った絵馬としては、質量とも類をみないものであると高い評価を受けています。


京都市有形民俗文化財指定「絵馬」

以下の写真をクリックしていただくと、大きい写真をご覧頂くことができます。


奉納年 嘉永5年9月(1852年)
絵師 不明
子供達の様子です。 子供の頭髪が
唐子風であることがわかります。
年紀の記されたものの中で最古の絵馬。



奉納年 明治2年9月(1869年)
絵師 不明
願主・奉納者 河内屋岩之助・田中屋幸七
描かれた人数最多のもの。
大人162名、子供458名、不明18名、計638名が描かれている。これだけの大人数だが、付箋には屋号や名前、年齢が描き記されている。



奉納年 明治14年2月(1881年)
絵師 義船
願主・奉納者 下京共敬社中
紙に描かれた水彩画を板に張り付け、絵馬風にして奉納したもの。台車に鳩の模型をのせて曳いています。車には網がついていて、それを子供達が持っています。
花園橋が土橋に描かれています。



奉納年 明治15年9月(1882年)
願主・奉納者 福井仁三郎他

大人数の参詣行列の様子。大人75名、子供118名の計193名が描かれている。
先頭の旗には向鳩が描かれている。

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