由来・沿革

御祭神     第15代天皇 応神天皇(八幡大神)

 

御利益    子供の守り神として、「かん虫封じ」「子供の病気平癒」「夜なき」「学業成就」のご

             利益で知られています。他にも、虫退治の神様 として「害虫駆除」 などの御利益で知

             られ、通称 「虫八幡さん」(むしはちまん)とも呼ばれて親しまれています。

 

御由緒    社伝によると、推古天皇の時代(6~7世紀)、聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使と

             して隋におもむこうとした折に、道中、築紫(※1)の辺りで病気になったところ、近く

             にあった宇佐八幡宮(※2)に祈願するとまたたくまに全快し、随に渡った後も、数々の

             危難を免れ、無事帰国することができた。

             聖徳太子の没後、上高野の地に移り住んだ小野妹子はその時の恩に報いるため、宇佐八

             幡宮を勧請(※3)し、八幡神をお祭りしたと伝えられています。

ご挨拶

三宅八幡宮
宮司 井口 憲明

 三宅八幡宮「絵馬展示資料館」を開設(2008年5月)して10年が経ちました。常設している国の「重要有形民俗文化財」(2009年3月11日、三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬124点が指定)の絵馬群は、幕末から明治、大正、昭和に渡る七十年間に近畿一円に跨る地域からの参詣者から奉納されたものです。


 描かれている参詣行列図、童子游図、赤子図等から当時の人々の信仰の姿が周辺の風景と共に鮮やかに再現され、当時の暮らしや風俗が窺える歴史民俗学上、価値の高いものとして各方面から評価を得ております。

 

 地震や台風、局地的な集中豪雨など自然災害が頻発する昨今、絵馬に見る子供たちの健やかな生育を願う気持ち、そして人々の連帯や絆を大切にしている姿に改めて学ぶところが大です。

 

 当神社の歴史は、社伝によれば推古天皇の時代に始まり、応仁の乱では神域にあった全てのものが灰 に帰し、神社の形状すら失いかけた困難な時代を経てきました。

 

 幕末~明治末期にかけては、子供の疳の虫封じの信仰が高まり、明治天皇が病に陥った幼少期、当神社に祈祷が命じられ、効あって快方に向かい快癒に至ったことが広く伝わり、当神社が子供の神様として広く伝播されていったという記録があります。

 

 絵馬に見るいつの時代も変わらない親の子に対する健やかな生育への思いや願い、そしてそれらの感謝の場を、自然豊かな風景とともに後世に伝え残していきたいと思っております。

 

 ご参詣の折に、これらの絵馬をご覧いただき、往時の人々がこの洛北の寒村で合った神社に参詣されたその心に思いを馳せていただければ幸いに存じます。

 

平成30年9月吉日

 

神様の使い-「鳩」

神様の使い

宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をしたと伝えられ、以来、八幡宮の 「鳩」 は 「神様の使い」 として大切にされてきたという言い伝えがあります。
鳩は八幡神の使いとして武士などに信仰されましたが、三宅八幡宮と鳩との関係がこれほど深いものとなったのはいつ頃か、又その理由など、詳細は不明です。

神鳩(しんばと)

お宮参りの際に、「神鳩」という、土製のつがいの鳩を授けてもらい、子供が無事成長した折にお礼にお返しにくるというならわしがあります。
「神鳩」は素焼きに色をつけたつがいの鳩の人形です。金色の首の輪があるほうがオス、ないほうがメスです。

境内では「神様の使い」といわれる「鳩」がお出迎えです。参拝者や近所の人々がえさをあげている姿が見られます。 

写真をクリックしていただくと大きい写真をご覧頂くことができます。


名物 鳩餅 

鳩笛や鈴鳩、鳩餅など、鳩にちなんだグッズもたくさん売られています。中でも鳩をかたどった「鳩餅」は、三宅八幡宮でしか頂くことができない隠れた人気商品です。米の粉を蒸したもので、白、ニッキ、抹茶の三種類。茶店で頂く事ができます。むっちりとした口さわりの、素朴な味のするお菓子です。ご参拝のついでに茶店で一息どうぞ。

国の「重要有形民俗文化財」指定(2009年3月11日)
三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬124点

 

「三宅八幡宮」では、絵馬堂の整理に際し、大絵馬が大量に発見され、京都市の有形民俗文化財に指定されていましたが、今回、国の重要有形民俗文化財に指定されることになりました。

 

1950年(昭和25年)に制定された文化財保護法では有形文化財のジャンルのひつである民俗資料とされましたが、1954年(昭和29年)の改正にて、民俗資料を有形文化財から分離独立するとともに、民俗資料の概念が法令上定義され、有形民俗資料のうち特に重要な物ものは「重要民俗資料」として指定され、1975年(昭和50年)の改正では、重要民俗資料は重要有形民俗文化財とされました。2017年(平成29年)3月3日現在、220件が指定されています。

 

幕末から明治期にかけて神社に奉納された大型の扁額絵馬群は参詣行列や参拝風景が中心で、育児や成人習俗、時代性や地域性が窺える貴重で類をみない民俗資料であるされています。

画題の多くは、多数の人々の描かれているリアルな参詣行列や参拝の姿から、大型絵馬の必然性に加え描かれる側、奉納する側のクライアントとしての存在が感じられ、絵師とのコミュニケーションがあったのではとの可能性が高いと言われております。

参詣風景から新しい時代の一般の人々の意識の変化も

京都市有形民俗文化財指定
三宅八幡神社奉納育児・成人儀礼関連絵馬133枚


「三宅八幡宮」では、数年前、百年ぶりに行われた絵馬堂の整理に際し、大絵馬が大量に発見され、京都市の有形民俗文化財に指定されています。

俗に虫八幡ともいわれる「三宅八幡宮」は、子供の「かん虫封じ」の神として信仰を集めてきました。地元の伝承では、もともと「田の虫除け」の神であったが、後に「子供の虫除け信仰」に移ったとされています。

詳細はあきらかではありませんが、幕末から明治にかけて信仰が拡大し、京都市内と南近江を中心に、山城、摂津、そして北河内、大和までを含む広範囲に及んで信仰が広がったといわれています。

幕末から昭和初期までの間に奉納された大絵馬のうち133点の絵馬が「子供のかん虫封じ」を中心に「育児習俗」および「十三参り」などの成人儀礼に関連したものです。なかでも幕末から明治30年代にかけて奉納された、「かん虫封じのお礼参り」の参詣行列を描く絵馬群がよくまとまっており、描かれる人数の最多のものは638人が描き分けられています。
「行列に参加する人物」それぞれに個人名が記された付箋が貼付されている他、服装や子供たちの遊び方などの風俗が克明に描き分けられています。

本絵馬群は、時代性や地域性が窺える好資料であるとともに、育児・成人習俗というひとつのテーマに沿った絵馬としては、質量とも類をみないものであると高い評価を受けています。

京都市有形民俗文化財指定「絵馬」

以下の写真をクリックしていただくと、大きい写真をご覧頂くことができます。

奉納年 嘉永5年9月(1852年)
絵師 不明 
子供達の様子です。 子供の頭髪が
唐子風であることがわかります。 
年紀の記されたものの中で最古の絵馬。

奉納年 明治2年9月(1869年)
絵師 不明 
願主・奉納者 河内屋岩之助・田中屋幸七
描かれた人数最多のもの。
大人162名、子供458名、不明18名、計638名が描かれている。これだけの大人数だが、付箋には屋号や名前、年齢が描き記されている。

奉納年 明治14年2月(1881年)
絵師 義船
願主・奉納者 下京共敬社中
紙に描かれた水彩画を板に張り付け、絵馬風にして奉納したもの。台車に鳩の模型をのせて曳いています。車には網がついていて、それを子供達が持っています。
花園橋が土橋に描かれています。

奉納年 明治15年9月(1882年)
願主・奉納者 福井仁三郎他

大人数の参詣行列の様子。大人75名、子供118名の計193名が描かれている。
先頭の旗には向鳩が描かれている。

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